家族の問題としての発達障害

「家族の問題としての発達障害」

医療法人社団 益友会 どんぐり発達クリニック理事長
医学博士 宮尾益知


「発達障害」が知られるように

私は2001年に国立小児病院にうつり、神経科に属していました。その後の生育医療センターでは、そのような興味と対応してきた実績が認められ、こころの診療部発達心理科に属するようになりました。このころから通常学級にいる奇妙な子供達についての議論が深まり、発達障害と定義されるようになっていきました。発達障害に関する定義が決まったり、発達障害支援法も施行され、世間的にも理解が深まり、子どもの療育が全国で始まったのもこのころです。

私たちは、発達障害についての学問的な側面と、実際の状況の両方に関しての理解を深めるために、「発達障害の理解と支援」のセミナーを毎月おこない、サポートネットワークを構築していきました。それと並行して、自閉症のひとのこころを探るためのチームを作り、まだ十分に理解されていなかった自閉症の人たちについて、思春期以降の自分のこころを語れる人たちから、こころの成り立ちを教えてもらう試みをはじめました。その内容は、発達障害概念とは?、子どもの状態はどのようか?そもそも発達障害とは、子どもが本来持っているものであって親の責任ではない、という基本的なことから始まりました。それまで1950年代には、冷蔵庫のような冷たい母親から、自閉症の子どもが生まれると信じられていたからです。

父親の家族への関わり方

子供たちの治療を進めていくと、今度は母親に対するサポートが必要であることがわかり、母親に対するサポート体制も整えていきました。そうすると今度は、母親たちの話の中に、父親の話が全く出てこないことが気になり始めました。話をきいていくと、父親の家族に対する接し方、かかわり方に大きな問題がありそうでした。そこで、父親へのカウンセリングも行うことにしたのです。カウンセリングからは、母に対する不満というよりも無関心が漂ってきて、なにか奇妙な感情を覚えました。カウンセリングを進めていくと、父親はだんだんと自分の対人関係での問題点に気づくことができるようになりました。しかし同時に、社会生活に対する不安感が語られるようになりました。このままでは、うつ状態になり休職になるのではと思うほどでした。

「発達障害」は家族の問題へ

こうして、夫婦関係として扱った方が良いのではと考えるようになり、母のカウンセリングを行っていた女性医師と私で「夫婦カウンセリング」をはじめることにしました。夫婦カウンセリングの現場からは、母からの一方的な父(夫)に対する恨み辛みの数々が発せられるのみで、父からは弱い否定の言葉が時に聞こえるだけのカウンセリングが2時間にわたって続きました。こうして数組の夫婦カウンセリングを行いましたが、どの場合もほぼ同様でした。こうして妻達から語られるアスペルガー症候群と思われる夫(父)の人たちに集まってもらい、お互いに自由に語り合う場を作り、お互いに問題点を気づきあうセミナーを行うこととしました。セミナーを開催するにあたって夫(父)の問題とするのではなく「思春期の自閉症スペクトラムを持つお父さんの会」としました。

金曜日夜6時半から8時半まで女性の精神科医が数人、家族療法と夫婦療法が専門の臨床心理士などが協力してくれることになりました。こうして集まってきた夫(父)達は聞いていたイメージと全く違っていて礼儀正しい、静かな人たちに思えました。続いて妻(母)達の会を行いました。

家族の関係性そのものを治療対象に

こうして私たちは、子供、夫婦(両親)それぞれを知ることに成り家庭を立体的見ていく事ができるようになりました。一人一人の立場から見た家族関係、すなわち家族システム論そのものでした。すなわち家族の問題は個人の問題に帰するのではなく、ある問題を持って症状を現した人、すなわちIP(identified patient)として家族の関係性を扱おうと行った理論です。

私たちの医療は、個人を扱い、誰かを悪者として扱っていきます。治療がシステムの機能不全を扱い、考えていく始まりにもあたります。社会と家庭内での社会性に差があることが問題の本質であることが分かりました。社会で成功する為の冷徹で即決即断である社会性と家庭人としての望ましい資質が異なっているのです。こうして家族機能としての問題点が明らかになってきましたが、どのようにすればよいのかは依然手探りでした。

こうしていくつかの学会において家族機能について発表を行っていきました。この頃にアストンのカサンドラ症候群に出会いました。私たちは夫婦関係を中心に考えているのではなく、自閉症スペクトラムの家族としての関係性として捉えていました。夫婦に加えて父母としての立場、父に同様の気質を認める場合の妻(母)、子どもの関係をより立体的に捉えていたように思います。ただ母が子育てのキーマン、妻が家庭のキーマンとしての存在であることは当然と考えられますからうつ的状況に陥った場合の家庭としての危機は当然と言えます。

アストンのカサンドラはどこが画期的な考え方なのでしょうか。障害の診断には症状は,現在の機能で社会的,職業的,あるいは他の重要な領域において臨床的に重要な障害を引き起こす。と書かれています。他の重要な領域として家庭内を考えることも新しい考え方でした。こうして私たちのカサンドラ症候群に対する取り組みは、アストンの夫婦主体で考えるアプローチと異なり家族としての視点での取り組みが始まっていきました。

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