対談 第5回:「多様化」社会でのルール作り(その1)

対談 第5回:「多様化」社会でのルール作り(その1)

対談
宮尾益知(どんぐり発達クリニック院長 医学博士)
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岡本孝伸(株式会社ドコモ・プラスハーティ 業務運営部担当部長)

 

——第4回目のお話は、多様化する社会や会社のなかでの暮らしや仕事のルール作りが大事だというところで終わりました。「障害者雇用のなかで多様性を否定するような社会組織であってはいけない」ということが第一前提ですが、そのなかでルール作りをしていかなければなりません。多様化が進む社会でどのようなルールを作らなければいけないのか? 発達障害の子どもたちや大人に向けて、具体的にどのようにしなければならないのかというお話をうかがいたいと思います。

宮尾 今までの精神科医療、児童医療の現場では決まった流れがあったのです。それは、子どもと母親の間に愛着ができ、そこから少しずつ子どもが育ち、次には自分で考えて行動するようになる。そこにお父さんが社会的存在として現われ、そこから学習の準備をして学校へ行きます。その過程で子どもたちはさまざま経験を経て、「自分は大丈夫だ」と思うようになるわけです。次第に自分を見るようになり、自意識が芽生えるという時間も経て成人になるわけです。今までの精神科治療はこの流れです。ですから、「心の巣立ちというものをサポートする」という考え方なんですね。逆にいうと、たとえば、その人が「どういう考えで生きている」とか、「どういう物の見方で考えているか」という発想はなかったのです。だからそこに気づく、その人自身の認知、物の見方、考え方などが個人によって異なるという発想はなかったのです。

170801 宮尾先生岡本さん対談写真③

——いつぐらいまで扱わなかったのでしょうか? それは社会が定型発達者中心だからなのでしょうか?

宮尾 その通りです。19世紀とか20世紀初頭くらいに発達心理学というものがあり、結局そこで語られてきた神話のようなものがあったのです。その神話に沿って治療するという考え方ですね。そこでは、一人ひとりが自分というものをしっかり持って、一人でちゃんと考えて行動をする。そこから派生した良いことも悪いことも自分のなかに入れ込み、社会のなかで生きていくということを目標にしてやってきたのです。そういう物事を目標としていましたから「物の見方、考え方が違うんだ」という発想はなかった。なぜかというと、結局、物の見方、考え方は「認知」ですから。そうなるとジャンルの違う話になってしまう。「人が物を見てどう考えているのか」というのは、精神科治療とは異なるのです。生体の持つ情報収集・情報処理の生理学や心理学の世界ですから、それをどうやって教えるかという考えがなかったのですね。そこで「学習障害」などといわれるようになるわけです。しかし、その後不器用とか落ち着きがない子などを単一にそういう概念でとらえるのではなく、「その人の物の見方、考え方をしっかりサポートしていかなければならない」という考え方が出てきたのです。そうすると、人は各人それぞれで、物の見方や考え方が違うんだということが次第に明確になってきます。

――意外にもそれらの考え方は20世紀も中盤以降の話なのですね。

宮尾 さらにもう一つ大きな変化がありました。自閉症はかつて知的障害があることが前提で、「しゃべらない、目も合わない」といった本当に重い人のことをいっていました。その当時、自閉症の方はだいたい5,000分の1くらいの確率でいたわけです。しかし、現在は86分の1ですから、まったくとらえかたが違ってきたわけです。その変化の結果、以前は自閉症といわれなかった人が今は自閉症といわれているということになります。そしてその人たちは、「私は自閉症です。私は自閉症としてこう考え、こう見ています」といっています。そのようにいわれ始めたのは2000年くらいからです。その頃『自閉症だった私』というタイトルの本も発売されています。本を出版した著者は、会話もせず突然声を出し目を合わせない子どもたちと同じ流れのなかにあるのだと、みんなが認識し始めて自閉症の新しい共通概念のようなものが作られました。その結果、「実は、自閉症の彼らは物事をこう考えて、自分たちなりに見ている。ですから、彼らは私たちと見方や考え方が異なっている」と考えられるようになりました。そこではじめて彼らの「こだわり」や周囲への「反感」ということが説明できるようになったわけです。医者が次第に気づいてきたのですね。そして今度は知的に高い人たちにも、そういう話(「こだわり」や「反感」)があるということが理解されてきたわけです。ではそういう人たちをどのようにサポートすればよいのか? ということが手探りで始まったのです。

――お話をうかがっていると、21世紀に入ってからの周囲の変化に驚きます……。

宮尾 ちょうど2000年くらいには、「ADHDは多動から不注意基盤としての問題である」といわれるようになりました。頭のなかには情報を入れておきながら、その情報を「過去のもの」と「現在のもの」の両方を考え合わせて物事を進めるため、「ワーキングメモリ」というものがあるという心理学的考えが出てきました。ADHDの「多動」や「不注意」はその領域の問題であると。ですから、ADHDの子どもは、考えて実行していくところで「なにかが欠けている」という感覚でとらえられたわけです。注意欠陥多動性障害(ADHD)は、物事を進めていく途中の集中力や注意力が欠けていたり、待つことができないということになります。

――発達障害と表現しても、ASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠陥多動性障害)はそれぞれに大きく異なった特性を持っているわけですね……。

宮尾 そうです。ところが自閉症というのは対人関係に特徴があり、言語の問題や強いこだわりを持っているなど、さまざまな要素があるため、一人の子どものなかでなにが欠けているのかがわからなかったのです。これまで、自閉症は精神科の医師が診ていました。そして、ADHDは神経学ですから神経科の医師が診るわけです。それぞれの領域で、それらの解決方法が探られていったのですが、1955年にアメリカで覚せい剤、アンフェタミンをADHDの子どもに与えたら、子どもの特性が良い方向に向いていったということがいわれはじめ、その後、ADHDにはドーパミンが関係しているという理解が広がり、そこから発達障害に対して「薬を使う」という考え方が生まれてきたのです。「人はそれぞれ考え方が違う」という多様なとらえ方は、先ほどお話したように「社会で自立して生きていくために、多様な社会をしっかり理解し、そのなかで自分の考え方や感じ方も相手にきちんと伝えていく」という、人間が社会のなかで暮らしていく際の流れをどのように教えていくかです。その教え方や学び方をどのように行えばよいのかというように変わってきました。しかし、過去の経験の長い先生方からすると、そこはまだ少し納得できないところもあるようです。

——さて、職場のなかの組織の多様化についてですが、岡本さんの職場では過去と現在で組織に対する考え方は違ってきましたか?

岡本 組織の話に入る前に、先生の話をうかがいながら「あ、なるほど……」と思った点があります。まず、「社会性」という言葉についてです。社会性というのは実にぼんやりした言葉だと思うのですが、集団で生きていくことによって人間が繁栄してきたと考えると、社会性というのはみんなでうまくやっていくための知恵のようなものだと思うのです。ルールに自分をあてはめ設定することです。まず社会設定というものがありますね。昔はおじいちゃんやおばあちゃん、さらには近所の目があったので、他人とどこか少し違うことをしていると「それじゃ世間は通りませんよ!」と、近所の人も祖父母もよく口出しをしていましたし、子どもの頃からそのような訓練がありました。年上の方々から助言を受けていたので、あまり表立って問題にならずそれほど目立ちませんでしたが、もちろん注意を受けた本人はストレスを抱えていたかもしれないです。それでも表面上だけはなんとか社会の設定に合わせようとしていたのではないでしょうか。私たちの生活のなかでは、思いの外、高齢の方がそういうことをしてきたように思うんですね。

170801 宮尾先生岡本さん対談写真①

——少し変わった子どもの行いは修正をされるわけですね。

岡本 1990年中盤のバブル以降だと思いますが、正社員で終身雇用という形ではなく、安い労働力として派遣社員を多く採用するなど、非正規雇用の社員さんが入ってくるという状況になってきた。会社側の変化でもあったと思いますが、その時点の前と後でなにが大きく違ったかといえば、それまでは全体に向けて「右向け右」という号令が通用する社会だったのだと思います。ほぼ正社員なので「会社のなかで偉くなりたいとか、給料をもっと取れるようになりたい」といった上昇志向がみんなにあったと思います。そのような環境の組織のなかで、上司が持っていた力には二つあります。「評価権」と「人事権」です。ですから、上昇するためには、この二つを押さえている上司に認められる行動をとることが、サラリーマンにとって正しい行動のはずなのですが、アスペルガーやADHDの方はそれがとても苦手なんですね。どうしても社会適合というか、組織のなかでやっていくことにやりにくさを感じている。そのことが高じると、上司からの叱責を受け、周囲の人々からも浮いてしまうので、宮尾先生がよくおっしゃっている二次障害を起こしてメンタル不全の方向に向かってしまうのです。

――上司の顔色を見ながら社内の人間関係を良好に保つことやじょうずに仕事をこなしていくことに難しさを感じているのですね。

岡本 昨今、問題になっているIT系の企業には物事へ強いこだわりを持っている方が多くいらっしゃる。その結果、メンタル不全の社員が後を絶たない。しかし、それは従来型のマネジメントを行っているからということでもあるのです。「私のいうことを聞きなさい。そうすればそれに見合った報酬が与えられる……」という方法でやってきたわけです。しかし、それではうまくいかないのが現実です。一人ひとりの物事の見方や考え方が違うという点にマネジャーの思いが至らず、会社側から「我々の方向に全体を合わせろ」という方針に則って、うまく社員の力を発揮させることができなかった状態が続いてきたのだと思います。

――これまでは通常の組織の考え方といわれていた方法も、実は一人ひとりを通じた全体幸福を無視された形でマネジメントされていたのかもしれません。

(続く)

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